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【吉川友梨(当時9歳、女) 大阪・熊取町七山地区内・H15年5月20日】 午後3時ごろ小学校から帰宅途中、行方不明に。 友梨ちゃんは失踪当日、4年生の社会科見学で大阪市此花区の下水道科学館を訪れていた。学校に戻って解散したのが午後2時30分。そして友達3人と七山の前の信号で別れたのが、同57分。その2分後に自転車に乗った顔見知りの少年が友梨ちゃんとすれ違っている。自宅から400mの地点のことだ。だが、その後友梨ちゃんの姿はぷつりととぎれた。悲鳴を聞いたというような証言さえない。友梨ちゃんはいつも通っていたその先の食料品店「大阪屋」の前を通りすぎることはなかった。 最初は事故という線も考えられた。しかし、周辺で交通事故が起こった形跡もなく、水路、溜池、林などを捜索したものの発見されなかった。こう見るとどう考えても車で連れ去られたという状況である。「大阪屋」の前を通らなかったことも、友梨ちゃんは自宅近くでは学校が指定した普段の通学路から外れ、車の通り抜けられない小道を通って帰宅する日もあったらしいということが後で分かっている。 誘拐であっても、最初から友梨ちゃんを狙って待ち伏せしていたとは考えにくい。この日は社会科見学の日で、通常より30分ほど早く家路に着いていたのと、普段は上級生と家の手前まで一緒に帰っていたからである。 事件に関連のありそうな目撃証言がないわけでもない。警察は、失踪当時、友梨ちゃんがいた道を走っていた不審車両の洗い出しを重点的に行っている。絞り込まれた車は5台。今も所有者がはっきりしない黒い乗用車、赤い乗用車、白いワゴン車、白い乗用車、白いライトバンである。特に午後3時前に友梨ちゃんの自宅方向へ猛スピードで走っていった車を追いかけている。捜査関係者によれば、「黒いセダン」。しかし、それに続くような証言がない。 TV番組「奇跡の扉 テレビのチカラ」に「2003年5月21日の早朝、岡山県内のの国道二号線下り車線で黄色いリュックを背負った少女が白かシルバーの車の横に立っており、車はトランクを開けた状態で停車し、その横にいた女児はAちゃんの失踪時の服装にも似ていた」という目撃証言が寄せられたことがあるが、その後の捜査は進展していない。 2014年1月12日、発生から9年経過して成人式が執り行われた。なお、3月31日で女児は20歳を迎える。6月27日には成人した不明女児の推定される似顔絵が公開された。 2018年5月11日には目尻のつり上がった細い目の中年の男が、小学生くらいの女児と一緒にいるところを目撃されていたことが捜査関係者への取材で分かった。友梨さんの自宅近くに止まっていた白色のトヨタ「クラウン」の車内で、男が女児を助手席に乗せているのを、通りかかった女性が目撃していた。 大阪府警泉佐野署捜査本部は、女児は友梨さんの可能性が高いとみている。事件から今月20日で丸15年。友梨さんの失踪に関与したとみられる人物像が明らかになるのは初めて。大阪府警は女性が目撃した人相の男を重点捜査の対象にするとともに、クラウンの特定を進めている。捜査関係者によると、この目撃情報が寄せられたのは事件から10年後の25年5月。クラウンは、友梨さんの自宅から南西へ約300メートル離れた民家沿いの丁字路で、西向きに止まっていた。目撃した女性も車を運転中で、クラウンの横を通り過ぎるときに車内を見たところ、男と目が合い、にらまれたという。男は運転席に座り、助手席に白い服を着た小学生くらいの女児がいた。女児は仰ぐような様子だった。 女性は男の印象について「顔の輪郭はほっそりとして、目尻がつりあがっていた。中年ぐらいに見えた」と証言した。 白いクラウンについては女性以外にも2人が目撃していることから、捜査本部は女性の証言について信憑(しんぴょう)性が高いと判断している。 http //www.opas.gr.jp/kumatori/syoukai/gaiyou/sousaku.htm http //www.jtw.zaq.ne.jp/ittyan/yurichan_top.htm
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【澁谷美樹(当時3歳、女) 宮城・柴田郡川崎町・S58年11月1日】 テレビではその日、日本シリーズの試合で大活躍した中畑清選手(元巨人軍)が笑顔でインタビューに答えていた。 祖父である喜代治さんは町内にある川崎保育所に美樹ちゃんを迎えに行った。当時、父親の民男さんは運転手、母親の勝江さんは看護婦をしていたため、迎えに行くのは祖父である喜代治さんの役目だった。もしこのままノンストップで自宅へ行けば事件は起こらなかったかもしれない。だが悲劇は起ころうとしていた。 美樹ちゃんを路駐した車に残し、田んぼに降りて知り合いと話しこんでいる間に居なくなった。 田んぼでは脱穀機が回っていて、その音で周囲の音は聞きづらい状態だった。 喜代治さんはすぐさま知人らと共に必死に周囲を探したが見つけ出すことはできず、大河原署に「孫がいなくなった」と届けでた。 当初、警察では美樹ちゃんがいなくなった場所が周囲に農作業水路が多い水田であることから一人で車を降り誤って水路に転落した可能性が強いと考え警察犬を出動させ地元住民と一緒に付近一帯を深夜まで捜索したが手がかりは何も発見できず、事態はすぐに一変し、現場近くの道で、美樹ちゃんと同じO型の血痕が少量と、ブレーキ痕や不審な 男女の目撃情報がある。美樹ちゃんが車から降り、周りで遊んでいる姿も目撃されている。 。 。 当時、澁谷さん宅近くの実家に酒を仕入れに来ていた飲食店経営の男F氏(当時31歳)が猛スピードで車を走らせている姿を目撃されており、何度も事情聴取を受けている。F氏は美樹ちゃんの父親の民夫さんと同級生であった。なお、この男は事件後に車を変え、美樹ちゃんの失踪当時に乗っていた車は見つからなかったとのこと。現在F氏は行方不明である。 。 美樹ちゃんが失踪した現場には1984年10月に大河原警察署により制作された情報提供を求める看板が現在でも設置されており、看板は交通事故によって壊れてしまい、ご家族で立て直している。 (2000年2月15日 読売新聞) 。 2001年に大河原警察署では21歳になった美樹ちゃんの現在予想されるモンタージュ写真を作成した。 祖父の喜代治さんは美樹ちゃんの帰りを見届けることなく、2012年2月に亡くなっている。 。 勝江さんは6月に撮られたさくらんぼ狩りの写真や10月に撮られた写真、七五三の時に来た服を現在でも所有し、30年間、いつかは会える日が来ると、今でも、ずっと、ずっと待っており再会を諦めていない。 失踪から30年が経過した11月1日に勝江さんは「1日も美樹を忘れたことはない。犯人が人の心を持っているのなら、せめて美樹の場所を教えて欲しい」と絞り出すように訴えた。 2018年2月6日に同じく息子の松岡伸矢くんが行方不明になった松岡正伸さんはフェイスブックで美樹ちゃんのことがネットに上がっていることを触れ、母親の勝江さんが熱心に諦めずに探し続けている姿に心打たれた方が多かったのではないかと拝察し、「必ず元気に生きておられると思います。美樹ちゃんが無事帰ることができますようにと切に願います」とコメントしている。 2020年現在も自宅の居間には美樹ちゃんの写真がずっと飾られている。 2021年現在も家族は美樹ちゃんがいつでも帰って来てもいように部屋をそのままにしている。 http //www1.tanteifile.com/dragnet/mikaiketsu/missing/001_050/008_1980_01_22/index.html
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【横山ゆかり(当時4歳、女) 群馬・太田市・ H8年7月7日】 両親がパチンコに夢中になっている間に、店内をうろついていた背の低い男に連れ去られる。 2012年にゆかりちゃんを連れ去った男の鮮明な画像を公開し、当時では分からなかった服装の部分も明らかになった。 2015年1月5日放送の『トリハダ(秘)スクープ超能力透視捜査スペシャル』でジョー.パワーはゆかりちゃんの両親の要請で来日し、ゆかりちゃんのいる場所を透視し、300メートル圏内までの砕石場にいること透視し、残念ながらゆかりちゃんはなくなっているとの結果だった。だがこの場所は私有地が多い場所との事で、父親である康雄さんが警察に捜査を依頼した。 失踪から20年がたった2016年7月7日『週刊女性』の取材に「今年は区切りの年ですし、ゆかりの誕生日ケーキは手作りにしようと思っているんです。スポンジに生クリームを塗って、フルーツをたっぷり挟んで……。下の娘2人にも手伝ってもらおうかな」そう言って光子さんは目をそらした。視線の先には、あどけない笑顔の娘の写真がある。 ゆかりちゃんがいなくなってからも毎年、家族そろって7月11日の誕生日を祝っている。『週刊女性』が初めてご両親を取材した2年前には、苺ののったショートケーキを買った。先月7日には、両親と太田署の18~30歳の若手警察官との意見交換会も開催された。「同年代の警官にゆかりを重ねてしまい、最初は言葉に詰まりました。“一刻も早く見つける努力を惜しまない”と若い女性警官が言ってくれたのには、背中を押されました」(保雄さん)スーパーで激励の声をかけられることもあるという。今年の3月末には、埼玉県朝霞市で2年間、行方不明だった女子中学生が無事に保護され、世間を安堵させ、「ご両親がどれだけ苦しんだかを考えると、生きてまた帰ってきてくれて本当によかった。妻とニュースを見ていて、言葉は発さなかったけれど互いにすごくホッとしているのがわかりました」(保雄さん)行方不明者発見の朗報は喜ばしいことに間違いない。「ただ、そう思いつつも“なんでゆかりじゃなかったんだ”っていう気持ちは常についてまわりますね。次こそは、ゆかりがいい。ゆかりも……」明るくすらすらと受け答えする保雄さんが初めて言葉を詰まらせた。光子さんは小さく「そうね」とうなずく。「俺ね、ゆかりが見つかったときのシミュレーションを何度もするんですよ。警察から連絡を受けて、“すぐ行きます!”ってヘリコプターに乗り込みます。遠くで見つかっても、一刻も早く駆けつけたいから」と保雄さんはひと息に続ける。「会えたときには思い切り泣きじゃくるだろうなあ。なかなか言葉にならなくても、“無事でいてくれてありがとう”“あの日、ちゃんと見ていなくて、ごめんね”と伝えたいです。許してもらえるまで謝って、それから家族5人でこれまでの時間を埋めていきたい」横山家には長女のゆかりちゃんのほかに、当時生後8か月だった次女(20)と、事件後に生まれた三女(15)がいる。妹たちはお姉ちゃんがいない寂しさを吐露したり、事件発生時の両親の行為を責めることは一切ないという。「たぶん気を遣ってくれているんでしょうね。家族間でゆかりの話はあえてほとんどしませんが、次女と成人式の着物を選んでいたとき“お姉ちゃんだったら何色を選ぶかなあ”と話しました。昨年はビラ配りにも参加して、人見知りなのに一生懸命、配ってくれた」(光子さん) ゆかりちゃんが戻ったら、3姉妹そろって着物を着せるのが両親の夢だという。 「次女は成人式で着た緑色を着るとして、ゆかりは派手すぎない古風な赤色、三女は青色か紫色のイメージですかね」(光子さん) 保雄さんは、こう話す。 「黄色と緑色が大好きだから差し色に入れてほしいですね。俺、センスいいんですよ。ズラッと並んだ着物の中から、“ゆかりに一番似合うやつはコレだ!”って、ばっちり選んでみせますよ」 お父さん子だったゆかりちゃん。 「俺と写っているときの笑顔がとびきり可愛い」と、ツーショットを指でなぞる。一方、光子さんは厳しく接していたことを気にしつつも「作った料理はなんでも残さず食べてくれた」と懐かしむ。 「ゆかりが帰ってきたら、いちばん最初に食べさせてあげたいのは……カレーライスかな。わが家では鶏ささみ肉カレーが定番なんです。ミックスベジタブルを入れて色とりどりにして、出してあげたい」 ゆかりちゃんが帰ってきて最初の家族旅行には、妹2人も大好きなディズニーリゾートへ1泊2日の旅を希望しているという。 「そのときは借金してでも、一番いいホテルのスイートルームを取りたいなあ」(保雄さん)離れて過ごしたぶん、きっとまた会えるはずの愛娘との計画は尽きない。 「それでも、なかなか見つからないことを実感する瞬間はひどく落ち込みますね。ご先祖様でもどこかの幽霊でもいいから、ゆかりの居場所を教えてくれたらいいのに。でも親ですから絶対に諦めない。ゆかりが無事帰ってくることをいつまでも願い続けます。家族みんながそう願っている」と話す。 失踪から21年になるのを前にした2017年7月2日、太田市石原町の商業施設でゆかりちゃんの両親や警察、協力団体ら約80人が情報提供を求めるチラシを来店客に配った。康雄さん「娘を捜しています」と呼びかけながら、買い物客にチラシを配った。取材に対し、「いなくなったその日から、ゆかりのことしか考えていない。ゆかりのいない生活は考えられない。本当にささいなことでも結構なので、1件でも多くの情報を」と話した。 失踪から22年を前にした2018年7月3日に常に写真を持ち歩く両親は「一日も早く帰ってきて」と願い、両親は、ゆかりさんを連れてきた自らを責めてきた。父親の保雄さんは自殺も考えたと明かし、「自分が悪かった」。ただ家族に「帰ってきたゆかりが、誰をパパと呼ぶんだ」と言われ、思い直した。「自殺したら、容疑者に負けたようで悔しい。生きて、ゆかりを見つける」と語る。 失踪から23年後の2019年7月7日、両親や県警捜査員らが市内のショッピングモールで、ゆかりちゃんの写真が掲載された約2千部のチラシやポケットティッシュを配り、情報提供を呼び掛けた。父親の保雄さんは「ゆかりは無事に帰ってくる。見つかるまでは絶対に諦めない」と記者団に力強く語った。 2020年7月に上毛新聞の取材に父親の保雄さんが取材に応じ、事件当時、ゆかりちゃんはまだ生後間もなかった次女(24)から常に離れず、保雄さん夫婦に「おむつだよ」「おっぱいだよ」と教えてくれた。「この子、本当に4歳かなと思うほど面倒見が良かった」と振り返る。 ゆかりちゃんは11日に29歳の誕生日を迎える。保雄さんは「妹に頼られるお姉さんになっているだろうな」と現在の姿を思い描く。年齢を重ねてきた自分たちが体調を崩した時に「長女として支えてほしい」と願う気持ちもある。 母親の光子さんも「普通に仕事をして、結婚して、子どもも生まれる年ごろ。きっとしっかり家庭を支えるような女性になっていると思う」と想像する。 群馬県警は11日にイオンモール太田(太田市)にチラシを置き、動画を上映して情報提供を呼び掛ける。例年、保雄さん夫婦も参加してきたチラシの手渡しなど人と接触する形での街頭活動は自粛となったが、保雄さんは「世界的に大変な状況だから仕方がない。そんな中でも警察が実施してくれることはありがたい」と話す。 保雄さんは「早く見つかってほしい。そればかりを考えている。少しでもゆかりらしい女性を見つけたら情報を寄せてほしい」と訴え、24年前と変わらずゆかりちゃんの帰りを待ち続けている。 2021年7月に上毛新聞の取材に父親の保男さんは無事を願う切実な思いを明かした。25年前のパチンコ店内の様子はずっと忘れられないという。ゆかりちゃんは景品所を見て、「パパ、花火取って」とねだった。「分かった。パパが取ってあげる」と言うと、にっこりと笑顔で喜んでいた。パチンコ台に座る両親の間を行き来して、店内奥にある長いすに座っていた姿も覚えている。店内での出来事だけでなく空気感も、ありありとよみがえだが、それ以前のゆかりちゃんをはっきりとは思い出せない。 生まれてから4年間、保育園の運動会や夏祭りなどいろいろな行事があったはず。「なぜ思い出せないのか…。ゆかりがいなくなったショックが大きすぎて、事件当日の記憶ばかりが残ってしまっているのだろうか」。25年もの歳月が経過して、事件前の記憶がすっぽりと抜けてしまったかのような感覚が続いているという。事件当時8カ月だった次女(25)と、事件後に生まれた三女(21)は、毎年7月7日が近づくと、「お姉ちゃんに早く会いたいね」と言うくらいで、それ以上はゆかりちゃんの話をしない。「2人なりの親への優しさなのだろう。話さなくても、家族全員が帰りを願っているというのは分かっているんだから…」 失踪から25年後の2021年7月7日、父親の横山保雄さんは「早く見つかってほしいと思いながらの25年でした。25年も離れ離れになるなんて考えられることじゃないので、私たちがつらい分、ゆかりもつらい思いをしていると思うのでゆかりに対して申し訳ない。本来あるべき家族の元に帰してほしい」と話している。 http //www.watv.ne.jp/~askgjkn/tizu1.1.gif(付近で足利事件が起こっている) http //www146.sannet.ne.jp/oizumipolice/yukarichan.htm http //www.police.pref.gunma.jp/keijibu/02sou1/file_yukari.html http //www.police-ch.jp/video/16/000412.php 清水潔氏による調査 日本テレビの清水潔氏が、この事件を含めた「北九州連続幼女誘拐殺人事件」についてもう一度調べ、一連の事件がすべて同一犯の犯行であるという仮説を立てた。 すると、真犯人の可能性がある男を特定し、接触にも成功。写真より老けてはいたが、やはりどこかルパン三世に似た中年の男であったという。男は独身で、週末になると県境を行き来、足利・太田近辺のパチンコ店に現れては一日中タバコをくわえながらパチンコをしていたという。すると、真犯人の可能性がある男を特定し、接触にも成功。写真より老けてはいたが、やはりどこかルパン三世に似た中年の男であったという。 まずは90年5月12日、『足利事件』当日のことを男にぶつけてみた。闇の中の禅問答のようなやりとり。同じ質問を重ねていくにつれ、男の回答はブレていく。男はついに、事件当日、足利にいたことを認めた。しかもその場所とは事件の現場だ。殺害された松田真実ちゃんが行方不明となったパチンコ店である。それだけではない。『あまりよく覚えていない』と言っていた男が、実は真実ちゃんと会ったことがあり、会話まで交わしていたことを認めたのだ。 『太田市内でも女の子が行方不明になっていますが、そのパチンコ店には行ったことは?』という質問に男は即答した。『あぁ、知ってます。あの店には行ったことがありません。出ないんですよ』。行ったことがないはずのパチンコ店の出玉について明言する矛盾には気づかぬまま男は続けた。『あの日は自分は、あの店に行ってません』。前言と矛盾する上、尋ねてもいない事件当日の行動を懸命に語るなど、相当に混乱しているとしか言えない。そもそも、やりとりの中で私は、ゆかりちゃん事件の発生日も、店名すら伝えていない。にもかかわらず、12年も前の自分の行動を、突然訪れた記者に即答できるとは。 この男が横山ゆかりちゃん事件の犯人、なおかつ「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の犯人なのかもしれません。 清水記者は著書「殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―」の最後で、こう締めくくっている。 「何度も何度もお前のことは報じたぞ。ルパンよ、お前に遺族のあの慟哭は届いたか。 お前がどこのどいつか、残念だが今はまだ書けない。だが、お前の存在だけはここに書き残しておくから。いいか、逃げ切れるなどと思うなよ。」
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【心霊スポット行方不明事件 富山市魚津市・平成8年5月5日】 坪野鉱泉へ「肝試しに行く」と1996年5月5日、乗用車で家を出た氷見市に 住む当時十九歳の少女2名が行方不明になった。 県警などによると、行方不明に なっている氷見市内の会社員A子さんとスーパー店員のB子さんは、 新湊市の海王丸パークで知り合った友達から、元ホテル坪野跡地が 「肝試しの場所」となっていることを知らされている。これまでの調べで 、二人は、不明となる1996年5月5日以前にも一度、同ホテル跡を訪れ、 不明となった日も同ホテル跡を目指していた。その日、スーパー店員のB子さんは、 勤め先で懐中電灯の電池を購入。アルバイト店員に「今晩、肝試しに行こう」 と誘ったが、断られ、A子さんに電話している。同日深夜、「今魚津市にいる」 というメッセージを友人のポケットベルに送った二人。その後の足取りは、 何も分かっていない。 ※注 2020年3月、二人が乗っていたとみられる車が富山県射水市八幡町3にある富山新港『北3号岸壁』横の海中から富山県警により引き揚げられた。車内からは人骨が発見され、DNA検査の結果、人骨は二人のものと判明している。 心霊スポット坪野鉱泉女性失踪事件】24年前に行方不明の女性2人か 車発見 https //asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1583322660/ 「実話!!ニュースに流れた怪事件!!」スレの810~http //web.archive.org/web/20020625125740/piza.2ch.net/occult/kako/971/971205692.html 参考「北陸のコワイ話 2000」スレhttp //web.archive.org/web/20010222010007/http //gikogiko.hoops.ne.jp/bbs_occult/963922215.html
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【水戸ミス梅娘失踪事件】 1986年(昭和61年)「ミス梅むすめ」に選ばれたほどの美人OLさんが、行方不明になった。ある場所で、その人と同じ血液型の血がついた毛布が発見されたが、肝心の本人(あるいは遺体)がとうとう見つからなかった。彼女に言い寄っていた職場の上司が疑われ、相当厳しく取り調べられたが、ちゃんとアリバイがあり、これは全くのシロと判明。それ以外には、交際してた人もいなく、犯人の見当もつかなかった。 ●大畠美智子(おおはた みちこ)さん 当時21才 茨城県水戸市 1986(昭和61)年12月26日失踪。 1987.1.9付「いはらき」(現・茨城新聞)より抜粋。 来月下旬から水戸市の偕楽園で開かれる「水戸の梅まつり」のコンパニオン、 梅むすめの一人が、昨年暮れから行方不明になっていることが八日までに 明らかになった。 (中略) 行方がわからなくなっているのは、水戸市、元会社員A子さん(21)。 家族の話によると、A子さんは十二月二十一日、同市桜川の県産業会館で 開かれた梅むすめの審査会で、ほかの九人とともに梅むすめに選ばれた。 ところが、その直後の二十六日に、すでに辞表を提出していた勤務先の デザイン会社で最後の仕事をして、「用事がある」と言って午後三時ごろ 給料をもらい退社。その後の行方がわからなくなっている。 (中略) 水戸署は、家出の線が強いとしながらも、事件・事故に巻き込まれた可能性 もすてきれず、A子さんのメモ書きや髪の毛、指紋などを持ち帰って調べる とともに、知人、友人などから事情を聞いている。 (その後、水戸市観光協会は「辞退者を想定して候補者を選んでおり、 梅むすめを19才の女性に変更したというものの、動揺は隠せない」と コメントしたそうです。) http //bubble.2ch.net/occult/kako/1057/10572/1057255863.html 762~ http //curry.2ch.net/occult/kako/976/976276312.html 644~
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【松岡伸矢(当時4歳、男) 徳島・美馬郡貞光町・H1年3月7日】 親類宅の前で、父親が目を離した20秒(40秒?)の間に姿を消す。 前日3月6日、両親と共に徳島県小松島市で祖母の葬式に出席。その夜は親戚宅で就寝した。朝起きて8時15分頃、父・姉・弟・従姉妹と親戚宅前を数分散歩に出かける。玄関から入ってこなかったので、父は抱いていた弟を家の中の母に渡し、すぐに玄関先に出てみたが、そこにいたはずなのにいなくなっていた。すぐに家族で手分けして探し、昼過ぎには警察に通報し、警察犬も出動。警察・消防・地元市民による大規模な山狩りもしたが消息不明。 一家が牛久市に帰る前日の3月15日頃、夜親戚宅にいる母親宛に「ナカハラマリコの母親」だと名乗る徳島弁独特のアクセントの女性から不審な電話があった。声の主は「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。成蹊幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。圭子さんは明日帰るという旨を伝えたが、その後ナカハラマリコの母親から連絡はなかった。後日幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。 13年間50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。父親の正伸さんは探しに行く時間を作るため、会社勤めから自営業に変えた。 目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。それらは全国津々浦々で目撃されていた。 .90年頃の目撃情報「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」 この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。 ・91年頃の目撃情報「四国霊場88ヶ所の第21番目の『太竜寺』で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」 圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。 ・97年OLの「横浜の地下鉄で見た」という目撃情報 この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、伸矢くんに似ていた」と言い、少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。 ・98年中国地方にあるレンタルビデオ店店員の証言 「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、これでいいの?といった感じで確認した後、レジに来た」応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、すでにその姿はなく、警察に通報したという。その後の手がかりはなし。 ・また平成元年4月の終わりか5月の終わりに徳島県海部郡日和佐町の弁天浜の岸壁で伸也君によく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃したという情報もあり、圭子さんによると伸矢くんが大きくなりひとりで電車に乗り帰ってきた日にかかってきた電話だった。目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。 TBS系の失踪事件、難事件に挑戦する「TVのチカラ」という番組に出演した際は超能力捜査を実施、アメリカ・FBIの超能力捜査官・マクモニーグルは「北朝鮮に拉致されたという情報もあるが、私が透視した限り、そんなことは決して無い。彼は生きていて、日本にいる。西日本有数のコンテナ港(神戸?)にいる。」と述べている。 北朝鮮による拉致問題に取り組む「特定失踪者問題調査会」は2005年6月27日、「拉致された可能性を否定できない」として、1989年に貞光町(当時、現つるぎ町)の親せき宅を訪れていた際に行方不明となった茨城県牛久市の幼稚園児松岡伸矢ちゃんら3人の氏名や失踪の経緯などを公表した。 2012年9月15日に県立県民文化センター(水戸市千波町)で開かれた北朝鮮による拉致問題の早期解決を訴える集会で両親は「どんな手尽くしてでも助け出したい」と語り、伸矢くんの救出を諦めていない。 失踪から2カ月後、母、圭子さんは「僕は大丈夫だよ、好かれるようにしているからね」という伸矢さんの声を聞いたという。 「あ、伸矢君だなって。不安な気持ちのときに聞こえてきた。必死で訴えてきたんだな」と振り返る。 2012年現在は育士として働く傍ら、圭子さんは畑で野菜を育てており、「伸矢君は芋掘りが好きだから、秋になったら、させてあげたい」と毎年、祈りを込めてサツマイモを植えている。 電車の乗り継ぎを両親よりも覚えているなど、しっかりとした性格だった伸矢くんに圭子さんは「どこにいてもあの子は頑張れると信頼している。 帰ってきたら、よく頑張ったね、さすが私の子だねって言ってあげたい」と話している。 北朝鮮が突如発表した拉致問題の再調査を行う特別調査委員会の解体から一夜明けた2016年2月13日に父親の正伸さんは「調査委員会の解体というが、これまでちゃんと調査してきたのかすら疑わしい」と冷静に受け止め、今回の発表について「一歩後退ではあるが、あまり失うものはない。政府には動じずに毅然(きぜん)と(拉致被害者の救出を)要求してほしい」とも語った。特別調査委員会については「そもそもお願いして調査してもらうというのには無理があった。制裁を強めて北朝鮮が本当に調査せざるを得ない状況にするしかないのではないか」と述べた。~ 2018年1月31日にTBSテレビ「緊急!公開大捜索 18春」で紹介された記憶喪失の男性「和田竜人」さん(推定年齢25歳)が当人の可能性があり、DNA鑑定が行われたが一致しなかった。 しかし、父親の正伸さんは「テレビを見たが、顔が似ていないので別人だと思った」と話したがDNA鑑定で別人だったことを伝えられると、フェイスブックで「諦めずに長男をこの腕に抱くその日まで前向きに歩んでまいりたいと思います」とコメントすることを忘れなかった。 これまでもさまざまな情報に接してきた両親は「きっと会えると信じて生きてきた」と長年の思いを語った。電車やパズルが好きで、自宅の住所や電話番号も覚えていた伸矢ちゃんに圭子さんは「賢い子で、しっかりしていた」と話す。 失踪後は、緊急の連絡に備えて家を空けないようにし、遊びに行くことも少なくなった。圭子さんは「あの子がいないのに楽しいことをしちゃいけないと思った」と目に涙を浮かべる。 家庭菜園に1人でいるときは「忘れてないよ」「元気にしてる?」と伸矢ちゃんに話しかけるといい、数年前に始めた保育士の仕事は「資格を持っていたが、ずっと避けていた。同年代の子供を見るのがつらくて…」と振り返った。 手掛かりは依然見つからないが、圭子さんは「あの子が帰ってきたら『お帰り』と言ってあげられるように元気でいようと思っている」とほほ笑んだ。 母親の圭子さんは伸矢くんとの再会を果たせぬまま2020年10月に病死されている。 http //www.police.tokushima.tokushima.jp/hp/sinyakun.html http //piza.2ch.net/occult/kako/966/966623584.html http //www12.ocn.ne.jp/~tsu/newpage3.htm http //www.sankei.com/west/news/180201/wst1802010102-n1.html ≪参考文献≫ 二見書房 「公開捜査 消えた子供たちを捜して!」 近藤昭二
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【石井舞(当時7歳、女) 福島・田村郡船引町・H3年7月24日夜〜25日】 自宅で2人の友達と川の字になって就寝中、行方不明に。 友達の1人が深夜、寝室で男が舞ちゃんに声をかける姿を見たと証言している。 最後に確認したのは母親であるヨシ子さんで、24日の午後10時半頃に寝ている舞ちゃんに布団を掛けている。 Kが重要参考人として浮上しており「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし、郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた」というものだった。いかにもとってつけたようないいわけだが、こんな言い訳をすれば疑ってくれと言ってるようなものだとも言える。 当然Kはその後、最重要容疑者として2週間に渡る取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。 現場検証の結果この家に住む人間以外の指紋やDNAは発見されず内部犯行が疑われた。 こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。 とりわけ、疑われたのは外出していたKと最後の目撃者であるヨシ子さんである。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。 当日の午後11時前には石井さん宅の前の道路から東へ少し離れたところで白い車が目撃されている。この車は故障車のようにボンネットが開かれており、翌朝には消えていた。 石井家周辺の車の所有者はひとりひとりあたっていったが、この白い車だけは持ち主不明であり、町の人間ではないと思われた。 だが父親であり賢一氏は住み込みのKを強く疑っていたようである。 Kは姪と恋人であったとはいえ仲は必ずしもよいものではなく、丁度この日Kと姪は旅行にいくはずであったのだが、賢一氏が用事を言いつけたためにキャンセルになっていたという。 恋人との旅行を邪魔されてKが賢一氏を恨んでいたのではないかと賢一氏は考えたのである。 またKは賢一氏にシンナーを吸っているところを何度か見つかっており情緒不安定なところもあることが疑いを濃くしていた。 舞ちゃんが行方不明となってから2ヶ月後、母親であるヨシ子さんは当時遊びに来ていた女の子から 決定的証言を聞き出すことに成功した。 その内容は当日の夕方、一緒にテレビゲームをしていた時にKが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていというものだ。 両親はその証言を警察でも話したが、幼児から証言を誘導した「無理に引き出させたもの」として相手にされなかった。2ケ月後突然引き出された小学生の証言では裁判を維持することは難しい。 残念ながら警察の判断は正しいと言わざるをえないだろう。 事件から半年以上がたち、賢一さんは従業員10人の再就職を決め、会社をたたんだ。 舞ちゃん捜索に集中するためである。賢一さんはもちろんKをマークしていた。彼に四六時中つきまとったり、Kの家のまわりにわざと舞ちゃんの行方の情報提供を求めるポスターを貼ったりした。 しかし、一年が過ぎ、二年が過ぎても具体的な手がかりはなにも掴むことが出来ず、とうとう賢一さんはKの顔を見るのも嫌になり、尾行するのをやめたという。 舞ちゃんの父親は公開捜査番組において 「ほとんど(犯人の)目星は付いてるんだが問題が・・・」 「まず間違いないと思われる人物は、判ってるには判ってるんだが、追求する手立てがない。 でも、娘が帰ってくる(取り戻す)ことを諦めてはいないし、その望みは残っています」 と意味深な言い回しをしている。 事件があった現場は、道路拡張のため、近所に移転したが、両親は、今も彼女が無事に帰ってくることを信じ、彼女の部屋をそっくりそのままの形で復元し帰りを待ちわびている。 http //www.police.pref.fukushima.jp/onegai/jyouhou/mai.html
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ep.548 世界の未解決事件!多人数行方不明事件「メアリー・セレスト号」他&バミューダトライアングルについて 放送内容 関連エピソード→ep.516 シーズン到来!旅のお供に! -うみこわ- 海にまつわる怖い話を読もう! 参加メンバー Tomo Kimura その他 関連エピソード→ep.65 都市伝説 スフィンクスの地下の謎 火星の記憶を持つ少年 登録されたタグ KAZⅡ 『カエル少年失踪殺人事件』 『バイオハザード』 『ムー』 『紅の豚』 アイリーン・モア灯台事件 エジプト カエル少年事件 クリスタル・ピラミッド ストリートに緊張が走る スフィンクス ダウンバースト バミューダトライアングル ピラミッド フライト19事件 マリン・サルファ・クイーン号 マレーシア航空370便墜落事故 メアリー・セレスト号事件 メタンハイドレート 低音 保険証 募集案件 吉村作治 回転灯 地響き 失踪 家出 市町村章 捜索願 未解決事件 河江肖剰 灯台 石巻山 統計学 航海日誌 良栄丸遭難事故 蔵王山 豚だ勘違い 都市伝説・オカルトまとめ 風力発電 ⇐PREV NEXT⇒ 名前 コメント すべてのコメントを見る
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【佐久間奈々(当時13歳、女) 千葉・千葉市若葉区多部田町地先路上・H3年10月27日】 深夜コンビニの買い物帰り、補導員を装った男に連れ去られる。奈々さんが連れ去られた27日の午前1時20-30分に、現場付近の交差点で、 奈々さんと男らしい2人連れを、通りがかった車の運転手が目撃していた。 午前4時過ぎにも、隣接の住宅地、千城台の方を歩いている2人連れを目撃したとの証言もあった。 しかし、それ以降の情報はぷっつり切れたままの状態。 それから21年後の2012年12月、千葉市126号線周辺が、日本国内の北韓工作員の秘密ルートであったことが明らかになり、北韓工作員に拉致されたとする説が提起され、事件が再び注目を集めたが、それも根拠の乏しい仮説であるとして葬り去られている。 http //www.police.pref.chiba.jp/police/police_department/chiba_e/info.phphttp //ruku.qp.tc/dat2ch/0401/12/1053527821.html(33〜お友達が降臨)
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